屋台の電飾は刺繍や金具同様、今や重要な装飾の一部となっています。中区における電飾は、昭和29(1954)年の徳畑天神社菅公1050年祭における曽我井屋台に端を発しています。高欄から蛍光灯を張り出す間接照明のスタイルは、この時から始まりました。長らく、蛍光灯を用いた間接照明のスタイルが主流でしたが、平成後期にはLED(発光ダイオード:Light Emitting Diode)を用いた電飾が広く採用され、さらには夜提灯を復活させる地区もあらわれ、電飾のスタイルはより多様化しています。
このページでは、電飾の変化について、最近の流行も含めて紹介します。
電飾の部位と役割による構成(曽我井屋台:平成26(2014)年)
旧中町で広く用いられてきた電飾は上に示したように、蛍光灯を用いた間接照明を用いた方法です。「屋根部分(天幕・綱・屋根絞り)」「金具類(水切り・繁垂木・高欄)」「刺繍類(水引幕・昼提灯)」の3つの部分をいかに照らし浮かび上がらせるか工夫がされてきました。
この方法は、昭和29(1954)年の曽我井屋台ではじめて取り入られて以来、旧中町における最も一般的な電飾方法となっています。高欄からせり出すための特別な蛍光灯スタンドを用い、屋台全体を明るく照らすことができます。また刺繍や金具の隆起やへこみにあわせて絶妙な陰影がつくので、幻想的な雰囲気をも醸し出します。
光量の大きな蛍光灯が取り付けられることで刺繍や金具が明るく照らされる(=夜でも刺繍や金具が美しく映える。)ことに加え、蛍光灯は着脱可能(=夕方に電源とともに取り付けられる。夜提灯が不要)ので、電飾の配線が日中の屋台の美観を損なわない画期的な方法でした。
LEDを駆使した最近の電飾例(糀屋屋台:令和5年(2023)年)
LEDによる刺繍類の電飾例
(中安田屋台:令和5年(2023)年、奥中屋台:平成31(2019)年)
蛍光灯を用いた間接照明に加え、最近ではLEDを用いた電飾が多用されるようになりました。管理人の調べでは、平成9(1997)年、西安田が屋台改修にあわせて導入されたのが最初ではないかと考えられます。LEDによる電飾は、当初、布団屋根や金具の一部に従来の電球による補助照明の代替として用いられていましたが、大光量のものが普及したこと、明滅の制御が比較的容易で工夫できること、小型で配線や光源の存在が日中でも目につかないこと、など手軽さと装飾の多様さが受け入れられ、現在では多くの地区で取り入れられています。
平成25(2013)年、糀屋・中安田が、すべてLEDを用いた電飾を取り入れられました。平成26(2014)年には奥中が切り替えられ、令和5(2023)年時点では、これらの地区に加え、安坂・森本・西安田・東安田でもLEDを主体にした電飾方法に切り替わっています。
大面積のライトアップを得意とする蛍光灯は異なり、LEDでは限られた部位を局所的に照らすことを得意とします。布団の弓の境目(重)や高欄といった部位を際立たせる手法が取り入れられています。LEDを取り付けられない刺繍類を照らすために、高欄内側にLEDを配し間接照明として用いたり、夜提灯を復活させたりする地区が出てきました。また従来の蛍光灯と取り付け方は同じですが、蛍光灯様のLEDや大面積を照らせられるスポットライトを用いる地区も増えてきました。いずれも消費電力が大きく電源の確保と補充が課題であった従来の蛍光灯の欠点を補うものとして、広く導入されています。
夜提灯は平成29(2017)年に糀屋が復活させたのを皮切りに、平成30(2018)年には奥中が、コロナ禍後の令和5(2023)年には、中村町・森本・中安田の各地区で見られるようになりました。、令和6(2024)年には安坂が導入されました。刺繍類を映えさせる蛍光灯による電飾の普及が、結果として夜提灯を廃した経緯を踏まえると、LEDの普及が図らずも旧来の姿を回帰させた事実は興味深くもあります。
近年再導入が進む夜提灯
昭和30(1955)年前後の羽安町と東安田
発電機・バッテリーといった電源が一般的になるまで、日が暮れてからの屋台には『夜提灯』がつけられました。これは昼提灯を取り外し、かわりに地区名や青年団の称号を染め抜いた高張提灯を取り付けました。光源はロウソクであったことこから、屋台を傾けたり落としたりすると、ロウソクの火が提灯に燃え移ったり、火が消えてしまったりしていたといい、気合いを入れて担いだという話も残されています。
稲荷郷や天神郷の祭礼では基本的に昼の祭りであるため、夜提灯をつけての屋台練りや屋台巡行は、本宮午後の下向の道中に限られていたと考えられます。いずれの祭礼も、現在よりも下向の時間が早く、日が暮れる前に(=夜提灯をつける前に)帰村したい、そういった述懐が残されている地区もあります。一方、安田郷は完全に夜の祭りであり、夜提灯の取り付けは必須事項だったと考えられます。写真は昭和30年頃の様子ですが、羽安町は旧集落名である羽山ではなく『羽安』と、しかも『西脇』と染め抜かれていることから、市制施行(昭和27(1952)年)以降に撮影されたものと考えられます。一方、東安田の提灯は、屋台本体とあわせて、おそらく赤く染められた和紙に、『東』『青』と記されています。それぞれ集落名と青年団の意味でしょう。安田郷の祭礼では、警護人が手提げ提灯を持たれます。それぞれの集落ごとに形や意匠が異なり、屋台に取り付けられていた夜提灯とのつながりを感じさせます。
旧中町では、蛍光灯を用いた電飾が主流になることで、昭和30年代中頃には夜提灯が途絶えることになります。近年、光量の強いLEDの普及に伴い、上述のように夜提灯を形を変えてさせる地区も出てきました。
中安田屋台:新調時に施された電飾(昭和32(1957)年)
昭和29(1954)年、今日の電飾につながる大きな出来事が起こります。この年、4月24日から25日にかけて、町制30周年記念行事と徳畑天神社菅公1050年祭が挙行されました。町制記念行事を中町中学校グランド(現:生涯教育センター付近)で行った後、翌25日に予定されていた菅公祭に臨むため、天神郷・稲荷郷・岸上の屋台は奥中地区内を巡行し、徳畑天神社へ向かいました。その道中、日が暮れかけ、この記念行事にあわせて新調された曽我井屋台が目の覚めるような電飾を披露しました。
このときを境に、それまでの夜提灯から蛍光灯を利用した電飾方法へと切り替わり、高欄から蛍光灯を突き出すスタイルもこのときから定着しました。高欄に蛍光灯を別途取り付けるスタイルにしたことで、昼間の屋台に余計な電球や配線類が目立たなくて済みました。さらに、蛍光灯は光力・範囲が大きいために屋台全体を上手くライトアップすることが出来ました。思いついた当時の関係者のアイデアには頭が下がります。
菅公祭へ参加しなかった安田郷では、昭和32(1957)年の中安田屋台新調を契機に蛍光灯での電飾が定着しました。中安田でも、新調屋台に蛍光灯での電飾を施しその美しさを際だたせました。
当時は、祭礼がいずれの郷でも異なっていたので、良いと思われる電飾や法被など服装はは次々に広まっていったと考えられます。
西安田屋台(昭和53(1978)年)、中村町屋台(昭和58(1983)年)
電飾が開始された昭和30(1955)年ごろ、旧中町では地場産業の播州織りの工場で働く女工さんたちが多数おられました。電飾した屋台を見て、女工さんたちが非常に喜んだと言われます。稲荷郷では、こぞって宵宮夜の巡行を織物工場が数多く存在した曽我井方面へ赴くようになり、電飾の意匠を凝らすようにになりました。
蛍光灯の色も、白色に限らず、水色・青色・黄色・赤色・緑色と様々な色が用いられるようになりました。さらに、蛍光灯に加えてアクセントとして『豆電球』・『色つき電球』などを、布団屋根・繁垂木・狭間などに配置する地区も見られるようになりました。中には、クリスマスツリーの豆電球を利用した地区もありました。変わったものとしては、色つきのスポットランプを担き棒に取り付け、屋台を照らした地区もありました。
このような電飾趣向のの多様化は、下向の時間が遅くなったことも背景の一つに挙げられます。稲荷郷・安田郷では、昭和52(1977)年頃から下向の時間がそれまでよりも遅くなり、電飾が一層必要になってきました。天神郷においては、ながらく宵宮夜の巡行は各地区個別に行っていましたが、平成12(2000)年ごろから役場庁舎前で電飾点灯式を行うようになりました。三ヶ村揃って夜の巡行を行うことを契機に、電飾に意匠が凝らされるようになりました。
一時は派手さを極めた電飾ですが、平成10(1998)年代に入り変化が見られるようになりました。まず、出来るだけ小さな電球が取り付けられるようになりました。これまでの電球であれば、昼間、屋台を見たときにどうしてもその存在が視界に入っていましたが、それを避けることが出来ます。また、配線類が屋台に張り巡らされているのを嫌いシンプル化を図る傾向にあります。かわりどころでは音センサーつきのライトを取り付けられた地区もありました。これは太鼓の音に合わせて点滅するというものでした。これに先立ち、蛍光灯もカラフルな色合いなものから『白色』『水色』といったシンプルなものが人気になりつつあります。金糸が映えるのは太陽光に近い白色蛍光灯ということでしょうか。
さらにながれを加速させたのがLEDの導入と普及です。平成9(1997)年の西安田に始まり、平成17(2005)年の糀屋、続く平成18(2006)年の、奥中・安坂・中安田と、現在ではほぼすべての地区でLEDによる照明が用いられています。
平成17(2005)年
茂利屋台
平成17(2005)年
中村町利屋台
平成17(2005)年
奥中屋台
平成19(2007)年
旧庁舎前での点灯式
平成20(2008)年
旧庁舎前での点灯式
平成22(2010)年
旧庁舎前での点灯式
平成26(2014)年
旧庁舎前での点灯式の後、あかね坂付近でのうち別れ。
奥中では蛍光灯からすべてLEDに切り替えられた。
平成27(2015)年
旧庁舎前での点灯式
平成28(2016)年
旧庁舎前での点灯式
平成29(2017)年
ゑびすや百貨店前での点灯式
平成31(2019)年
ゑびすや百貨店前での点灯式
令和6(2024)年
ゑびすや百貨店前での点灯式
平成18(2006)年
平成19(2007)年
平成19(2007)年
平成20(2008)年
平成21(2009)年
平成22(2010)年
平成25(2013)年
平成25(2013)年
中安田が蛍光灯からすべてLEDへ切り替え
平成26(2014)年
平成26(2014)年
平成27(2015)年
平成28(2016)年
平成29(2017)年
平成30(2018)年
令和元(2019)年
令和5(2023)年
平成15(2003)年
平成17(2005)年
平成18(2006)年
平成18(2006)年
平成19(2007)年
平成20(2008)年
平成26(2014)年
前年(平成25(2013)年に、糀屋が蛍光灯からすべてLEDへ切り替え
平成28(2016)年
平成29(2017)年
令和元(2019)年
蛍光灯からすべてLEDに切り替えた森本
森本は下向の際、神社境内では電飾を取り付けず、糀屋公民館での休憩時に取り付け帰村されていました。
平成20(2008)年より、神社境内での電飾を実施されるようになりました。
令和5(2023)年