令和6(2024)年
坂本(さかもと)屋台は、昭和3(1928)年の昭和天皇即位御大典を記念して、昭和2(1927)年の年末に新調されました(注1)。当時としては画期的な金綱、総刺繍の水引幕で屋台を飾っていました。錺金具師荒川政太郎が興した荒川商店(姫路市)による請負でした(注2)。また、先代屋台は日野村用(現西脇市富吉南町)に売却されました。この屋台は、現屋台よりも一回り小さいものであったと言われています。
梵天は屋台前後が『海老』、左右が『唐獅子』です。布団締め金具は、前後が龍と鳳凰を配した『金扇』、左右には文鏡の裏面を利用した『鏡』となってます。また、ここには鏡の裏の細工を専門に扱う鏡師『天下一松村因幡守吉次』・『天下一藤原政重』という二師の銘が記されています。
布団締め金具の鏡:松竹に鶴
中央の桔梗の紋は、鏡の元々の所持家の家紋と考えられる。
布団締め金具の鏡:松に鶴
狭間は、堤義法作で場面は『布引四段目小桜責め』『楠公親子桜井の別れ』『天の岩屋戸の変』『本能寺の変』となっており、水引幕は『龍の珠取りの図』、昼提灯は『阿吽の龍』で、ともに梶内近一の作(淡路市)です。
高欄・斗組は黒檀・紫檀で製作されています。特に高欄は、縁葛・平桁・架木・男柱には黒檀を、角柱には紫檀を配置し、それぞれ金具が木地・木目部分と調和するように配された造りとなっています。
これまでに何度か修理をかさね、今日に受け継がれています。昭和56(1981)年には、経年の痛みが激しかった水引幕と昼提灯を修理し、梵天の再メッキを行いました。昭和61(1986)年には、金綱を新調し従来のメンタ結びから、屋根頂点で結い上げる今日の様式(注3)に変更され、金具類の再メッキが行われました。平成28(2016)年には稲荷山の木材を活用し、泥台を新調。令和2(2020)年には文化庁の補助を活用し、脇棒の新調および脇棒受けの拡張、井筒通しより上部の金具類の再メッキが施されました。令和5(2023)年には、昼提灯の背景の修繕と吊り金具の再メッキを紀繍乃や(洲本市)で実施されました。
注1:衣装箱や狭間箱には『昭和貳年拾貳月新調』とある。新調時の集合写真も伝わる。
注2:狭間には堤義法の銘とともに、荒川製との銘も記されている。
注3:メンタ結びに対してオンタ結びともよばれる。
布引四段目小桜責め
楠公親子桜井の別れ
天の岩屋戸の変
本能寺の変
水引幕:阿吽の龍
水引幕:阿吽の龍
令和6年(2024年)下向
令和6年(2024年)下向
令和6年(2024年)宮入り
令和6年(2024年)宮入り
令和5年(2023年)
雨の中での下向となった。
令和5年(2023年)宵宮
奥の宮再建50周年記念大祭
宵宮での宮入り
令和5年(2023年)宵宮
奥の宮再建50周年記念大祭
宵宮での宮入り
令和4年(2022年)
コロナ禍により3年ぶりの宮入り
降りしきる雨の中催行された。
宵宮は村廻りのみを短縮実施
台車をつけての宮入り、境内での据え置き無し、と大きく行程をかえて催行された。
令和2年(2020年)3月
コロナ禍により稲荷神社への宮入りは中止されたが、文化庁補助をうけ脇棒の新調および脇棒受けの拡張、井筒通しより上部の金具類の再メッキを実施。祭礼日の1週間前にお披露目を実施した。
令和元年(2019年)
台風接近に伴い、祭礼日を一日ずらして催行
脇棒が修繕途中なことを踏まえ、台車を着けて宮入り。
平成30年(2018年)
台風接近に伴い、祭礼日を一日ずらして催行
宵宮に脇棒が破損。台車を着けて宮入り。
平成29年(2017年)
平成29年(2017年)
平成28年(2016年)
平成28年(2016年)
平成27年(2015年)
平成27年(2015年)
平成26年(2014年)
平成26年(2014年)
平成25年(2013年)
平成25年(2013年)