屋台に運行に欠かせないもののひとつに、乗り子が唄う「屋台唄(太鼓歌)」があります。中区における屋台唄は、担ぎ手と乗り子との間で唄の掛け合いが行われるのが最も一般的です。
村廻りの道中、宮入り、下向、とそれぞれ唄われる囃子の内容が異なります。道中で唄われる屋台唄は、歌舞伎や浄瑠璃の名場面やお花御礼を込めた氏子各家庭の繁栄を願い祝ったものなど、かなりのバリエーションに富みます。
宮入りで唄われる屋台唄は、氏神さんへの敬意と感謝を唄ったものが最も多くなっており、各地区での特色が強く表れます。一方、下向では祇園囃子(伊勢音頭)に代表されるテンポの速い屋台唄が受け継がれています。
このページでは、宮入りと下向で唄われる屋台唄を中心に、その囃子の簡単な解説とともに紹介します。
一般的な屋台唄の構成
屋台唄の構成は、上に示したように、便宜上3つの部位に分けられます。
唄の出だしである「上の句」、メインパートである「中の句」、最後に唄をまとめる「下の句」です。このうち、中の句の箇所を乗り子が唄いあげるわけですが、担ぎ手が唄う上の句の内容を聞き取って、対応する唄を唄いあげます。
上の句の唄い出しは、『おいしずかになれ』と始まり、中の句の乗り子の唄い出しは『あれは否 これは否』となることが多いです。それぞれ、「静かによう聴けよ」「あれでもない、これでもない」と、今風に解釈すると面白みも感じられますし、神前での祝詞の出だしとも似ている箇所があります。下の句の唄い上げは、地区ごとに合いの手や抑揚が大きく異なります。じっくり祭り場で聴いてみるのも面白い箇所になります。
乗り子は、小学3年生から小学6年生の男児がつとめることが多いです。唄の歌詞を覚え、合いの手を理解し、あわせて太鼓の拍子を覚えるのに、1ヶ月程度練習の期間を持つことが一般的となっています。青年団や保存会の指導のもと、公会堂や屋台蔵に集まるのが初秋の夜の風物となっています。屋台唄は地区によっても異なりますが、10を超える種類が受け継がれています。上述の屋台唄の他に、祇園囃子や農兵(ノーエ)節、中町音頭など、様々な唄がうたわれます。
鳥居前での屋台唄:羽安町と曽我井
曽我井の「浜も真砂子(まさご)も。。。」は安坂や天神郷の各村でもしばしば歌われる、鳥居前での鉄板の歌詞となっています。おそらく、真砂子は真砂の当て字で、海の砂、転じて数が多いさまを意味していると思うのですが、乗り子の唄う箇所の意味は難解です。
羽安町の、「藪さえ越せば」というフレーズは杉原川の土手を越えて、中安田(当村)までやってくる羽安町の事情を良く表しているように思います。「練りもの」という表現も興味深いです。必ずしも屋台だけを指していなかったのではないかと推測させます。
鳥居前での屋台唄:東安田
「正一位」とは稲荷大明神に送られた神階であり、歴史をたどれば総本社の伏見稲荷神社に対し、後鳥羽天皇の行幸に際し送られた神階になります。同様の歌い出しは、西安田、中安田でも採用されていたと記憶しています。続く、乗り子のフレーズも、境内に繁る木々の様子を唄ったもので、安田稲荷神社の様子を良く表しています。
鳥居前の囃子では、「もちと行かんせ 鳥居まで」と締めくくられることが多いですが、ここでは、「氏子揃うて宮巡り」(=皆でお宮さんへ参ろう)、と締めくくられるのも面白いです。
安田稲荷神社では、担ぎ手が唄いあげる際、歌詞の末尾の子音を、抑揚を持たせながら2度繰り返す独特の囃子方をします。たとえば、「お稲荷さまの前よ」と囃子かける際、「よ」の子音である「お」を最後に2度繰り返し、抑揚を持たせながら、乗り子の囃子へと切り替わります。
拝殿前での屋台唄:安坂と西安田
安坂は、乗り子が「菊や臨時」で始まる太鼓唄を唄います。稲荷郷では曽我井や坂本もこの囃子をうたいますが、いずれも東照宮前であり、境内では安坂が唯一披露します。近隣では、西脇市大木町に鎮座する平野神社の各氏子(大木町・野中町・市原町・前島町)にも、ほぼ同様の太鼓唄が引き継がれています。こちらでは、「平野様には 菊月祭礼」と囃子かけられ、乗り子の唄い出しも「聴くや神事で賑わしく、、、」と始まり、乗り子の歌の意味を拾う上ではこちらの方がしっくりきます。いずれにせよ、口伝えで伝わってきた文句が文字起こしの際に、多少変化したものと思います。
担ぎ手の文句にある「菊月」とは9月の別称です。長月という別称の方が一般的ですが、字面の美しさからでしょうか。旧暦9月13・14日が例大祭であったことを踏まえると、「菊月祭礼」はぴったりくるフレーズです。乗り子が唄う、「枝も鳴らさぬ」は浪曲高砂にも登場する「枝を鳴らさぬ 御代なれや」からでしょうか。「宮とかや」とくっつけることで、お宮さんの変わらぬご加護、を意味していると思います。あるいは単に、御代を置き換えただけかもしれません。「浪花のおことに至るまで」はそのままでは難解です。文字通り、浪花=大阪、おこと=御事、とするとさっぱり意味が分かりません。ひょっとすると、このくだりは「なんこと(何事)に至るまで=万事において」の意味で、目出度い意味あるいは華やかな字面の言葉をあてがったものかもしれません。最後の、「世のためしこそ」は、世の習わしであることよ、という係り結びで意味の強調。
乗り子の歌詞を通してみると、「賑やかに祭りができるのは、かわらぬ神さんのおかげ。これは、万事おいて豊かな世であることの習わしである」といったところでしょうか。
安田郷では、宮入した屋台は拝殿に正面を向け差し上げます。西安田だけが、この拝殿前で天下泰平の囃子を披露します。最初の、「天下泰平、五穀豊穣、氏子安全、国土安穏」は担ぎ手の合いの手も、決して早くなく、乗り子は神さんに届くようにひたすらゆっくりそのフレーズを唄いあげます。その間担ぎ手はじっと屋台を差し上げたまま維持することになります。後半部分も含め全部唄いあげるのにおおかた2分半程度かかっているように思います。
後半の、「繁昌でな 神勇み 氏子もな」はやはり、神さんと氏子の繁栄を祈ったフレーズだと考えられます。
拝殿前での屋台唄:糀屋と森本
森本は稲荷郷で唯一、天下泰平を唄います。鳥居前、拝殿前、東照宮前の3ヶ所で、乗り子はこの囃子を唄いあげます。旧中町全体で見ると、天下泰平は最もポピュラーな宮入の唄なのですが、稲荷郷では、なぜか森本しかこの唄を採用していません。色々諸説ある話なので、定かなこと分かりませんが、森本は祭礼における屋台奉納を、稲荷郷で最も早くから行った村との伝承があります。ひょっとすると、他村の遠慮があったかもしれませんし、森本から距離的に近い安田郷の影響を受けてのことかもしれません。上で取り上げた西安田の天下泰平と比べると、微妙に歌詞の言い回しが異なり、興味深く感じます。
糀屋は稲荷神社の宮本にあたり、東照宮前で自村の名称に由来した独特の囃子を唄いあげます。「米に縁ある」は「糀」の文字の部首を意識したものです。氏子の法被の腰回りにも稲穂が染め抜かれ、また屋台にも宮入前には田から刈り取った稲穂が取り付けられます。近年では拝殿前でもこの囃子がうたわれるようになり、耳にする機会も増えてきたように思います。
稲荷郷では、東照宮前では5ヶ村すべてが屋台の差し上げとともに囃子を唄いあげます。糀屋稲荷神社は千姫からの寄進を受け栄えた歴史があります。東照宮を本殿の氏神と同等orそれ以上の位置づけとして、氏子各村が奉ってきた敬意を感じることができます。とりわけ、糀屋においてはもともと東照宮前でしか囃子を奉納してこず、東照宮に対する明確な崇敬を感じることができます。
中安田の祇園囃子
下向の唄、といえば、祇園囃子でしょうか。旧中町では、祇園囃子と呼ばれますが、播州一円の祭りで唄われる伊勢音頭(伊勢唄)の一種です。いわゆる太鼓唄とは異なり軽妙なリズムで、屋台を担ぐあゆみも進む側面もあるように思います。また多くの地区で、伊勢講が開かれ、お伊勢参りは身近な習慣でありました。このため、お伊勢参りに伴う伊勢音頭が当地へ広まったことは自然なことに思えます。
数ある祇園囃子の中で取り上げるのは、中安田で歌われる歌詞の一節です。同様の歌詞は、西安田・東安田でも歌われていますが、中安田は境内での最後の差し上げの前にこの囃子をうたいます。この歌は、伊勢音頭における”別れの唄”と呼ばれる歌詞がモデルになっていると考えられます。あまりなじみがないかもしれませんが、伊勢音頭には、正調伊勢音頭、道中伊勢音頭、祝い唄、別れの唄。。。などのいくつかのバリエーションが存在します。正調伊勢音頭や祝い唄に歌われる囃子は比較的ポピュラーものも多く、
”目出度目出度の 若松様よ 枝も栄えて 葉も茂る”
”伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は城で持つ”
など多くの村々で歌われる鉄板の歌詞が含まれます。
一方、別れの唄では、参詣者と妓楼で懇ろになった遊女との別れのやりとりが歌われます。乗り子が唄う「明日はお立ちか、お帰りか。。。。」一連の歌詞から、別れを惜しむ遊女の慕情がうかがえます。伊勢は外宮と内宮の間の参詣街道沿いに、遊郭や芝居小屋が建ちならび歓楽街として栄えていました。当時の習俗がうかがえる面白い歌詞だと思います。旧中町で明確にこの別れの唄が歌われるのは、前述の三安田だけのように思われます。軽妙なリズムのため「しゃくる(屋台を揺らすの意味)ぞー」といったかけ声が飛ぶこともしばしば。乗り子たちはさぞ気持ちが良いことかと。
羽安町の仕舞い唄
「今が早かと」とは、今が早く来い、という意味かと思います。後ろの「今まで思うた」につながることで、『ずっと(ある物事=祭り)早く来て欲しいと思っていたんだけど』という大意かと思います。「おしゃげ」とは京言葉のおしまい、物事の終了を指す言葉ですので、通して意味を取ると、”今の今まで祭りを楽しみにしていたんだけど、これでおしまい、無事に終わってお疲れさん”みたいな感じでしょうか。
この仕舞い唄は、多くの地区の歌詞カードに登場しているのですが、実際に歌っているのはいかほどでしょうか。多可・西脇では、加美区の的場や西脇市黒田庄町の津万井で歌われているようです。
元々、祇園囃子は祭りに限らず、家を建てる際の石突(基礎固め)や農作業、あるいは婚礼の酒宴で歌われたりと、半ば即興のカラオケみたいに歌われてきた背景もあります。この歌詞はお伊勢参りからというより、そういった日常の仕事唄から派生してきているように感じます。実際、酒造りに携わる丹波杜氏の仕事唄の中には、よく似た歌詞の唄が、糀の漬け込みの仕上げの唄(仕舞い唄)として伝承されているようです。