平成17(2005)年、多可郡中町・加美町・八千代町の3町が合併し、多可町が発足しました。中区とは兵庫県多可郡多可町における旧中町のことを指します。多可町は、兵庫県の東播磨地域の内陸部に位置し、北は丹波市、朝来市、東は丹波市、南は西脇市、 加西市、西は神崎郡神河町、市川町にそれぞれ接しています。東西13 ㎞、南北27 ㎞、総面積185.15k㎡を有し、直線距離で神戸 まで約45 ㎞、大阪まで約70 ㎞の距離にあります。地勢的には、周囲を中国山脈(三国岳、千ヶ峰、笠形山、竜ヶ岳、篠ヶ峰など) の山々に囲まれ、三国岳を源とする杉原川が加美区、中区の中央部を貫流し、笠形山を源とする野間川が八千代区の中央部を南流して西脇市において県下最長の加古川と合流して瀬戸内海に流れています。気候は、瀬戸内気候の影響を受けて穏やかですが、中国地方の背陵地帯として内陸性気候の影響も受け、寒暖の差が比較的大きくなっています。
交通条件は、西脇市で国道175 号と分岐した国道427 号が多可町中区、加美区を縦断し、八千代区では県道西脇八千代市川線、多可北条線、加美八千代線が通り、中国自動車道滝野社ICや加西ICと接続しています。
中区は中央を杉原川が縦断し、のどかな水田風景が広がります。中区は酒米『山田錦』発祥の地であります。中区東安田の豪農山田勢三郎氏が自身の田で優良株を選抜・育成した『山田穂』がそのルーツであります。また、山田勢三郎は協立尋常小学校(現中町南小学校)にピアノを寄付するなど地域の篤志家として知られ、東安田には頌徳碑が建てられています。古くから人々がこの地に住んだようで妙見山の裾野には、東山古墳群などの遺跡が存在しています。
中区は22の集落からなり、江戸時代以前は幕藩支配が行われていました。その中で、いくつかの集落ごとに”郷”というものが設定されました。いわゆる郷村制です。中区では、荒田郷・高田郷・天神郷・稲荷郷・安田郷の5つの郷に分けられます。氏神の祭祀を中心として、共同体としてのつながりが築かれていきました。今日でも、小学校校区や各種集会など行政区分において機能しています。
とりわけ、中区南部に該当する天神郷・稲荷郷・安田郷では、それぞれの郷の総氏神を持ち、その祭祀を郷単位で執り行っています。天神郷は徳畑・奥中・茂利・中村町の4集落で構成され、徳畑に鎮座する天神社を氏神としています。稲荷郷は糀屋・安坂・森本・曽我井・坂本の5集落で糀屋に鎮座する稲荷神社を氏神としています。安田郷では、中安田に鎮座する稲荷神社を氏神とし、西安田・中安田・東安田・西脇市羽安町の4集落で祭事を執り行っています。
明治維新後、廃藩置県により、中区は飾磨県多可郡中村となります。その後、飾磨県の合併により兵庫県多可郡中村となります。明治22(1889)年時には、多可郡は、津万村・日野村・重春村・比延庄村・黒田村(以上現西脇市)・中村(現多可町中区)・松井庄村・杉原谷村(現多可町加美区)・野間谷村(現多可町八千代区)・越知谷村(現神崎郡市川町)からなりました。中区に郡役所・警察署等が設置され大いに賑わいました。
大正13(1924)年には町制を施行し、多可郡中町となります。地場産業である播州織りと鍛冶屋線を活かして町は大きく発展しました。その後、平成17(2005)年、多可郡中町・加美町・八千代町の3町が合併し、多可町が発足し現在に至ります。中区には多可町の行政施設が集中し多可町の中心として大きな役割を担っています。
上記のように、旧中町は行政上は多可町に生まれ変わりましたが、国立国会図書館には旧中町時代のwebサイトが保存され誰でも閲覧できます。広報誌なども一部pdf化され閲覧できます。
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/243585/www.nakacho.jp/index.html