令和6(2024)年
羽安町(はやすちょう)は西脇市日野地区に所在しますが、安田稲荷神社を氏神として杉原川を渡って宮入りしてきます。羽安町はながらく羽山(はやま)とよばれていましたが、昭和27(1952)年の西脇市制施行を機に、地区内に敷設された旧国鉄鍛冶屋線の羽安駅にあわせて集落名が変更されました。
現屋台の来歴について明確な記録は残されてはいませんが、大正末期に姫路の妻鹿より購入されたとの伝聞が残されています(注1)。昭和63(1988)年、昭和天皇のご容態悪化に伴い屋台の練り出しを休止され、その間に屋台蔵や、布団張り・梵天・四本柱等が新調され、平成2(1990)年頃に現在の姿となりました。また平成13(2001)年頃、一対の飛龍の梵天を新調されました。
屋台の梵天は四面とも『飛龍』で、平成28(2016)年から金綱で屋根を飾るようになりました。狭間は竹内秀信・鎌田秀一・柳正則の三師の銘を見ることができます。 水引幕・昼提灯は川村刺繍(姫路市)製で、水引幕には『大己貴命鷲退治』、昼提灯には『唐獅子』が刺繍されています。
この屋台最大の特徴は、井筒金具および高欄の意匠です。井筒金具には二枚の金属板を合わせた透かし彫りが施され、高欄には虫喰い塗りが施されるとともに、縁葛には螺鈿細工が装飾されています。これらの特徴は、近隣の屋台でもなかなか見ることのできない貴重な意匠となっています。
高欄の虫喰い塗り
注1:公会堂竣工記念誌(羽安町)(羽安町公会堂竣工記念行事委員会編、西脇市羽安町、昭和55年5月刊)に掲載された住民の方の回顧録による。『現代の太鼓で二つ目です。55年、56年くれるそうです。』との記載があり、執筆時(昭和54年頃)から逆算すると大正12-14年頃となる。安田稲荷神社は大正12年に社殿の改修や神饌幣料供進神社への指定といった慶事が相次ぎ、それらを祝しての購入だったかも知れない。また、日野地区全体でも、鍛冶屋線の開通(大正12年)に向けた駅舎(市原駅・羽安駅)整備や鉄道の敷設、西脇市大木町における天目一社の社殿整備(大正12年)など地域の活気が溢れる時期でもあった。
また同じ回顧録に、『羽山村にはじめて太鼓ができたのが、今から95、96年にもなるそうです。』『当時の太鼓は、赤いフトン張りのものでした。』との述懐もあり、明治20年代に屋台が導入されたと考えられる。
佐久間玄蕃盛政太閤本陣乗り込み
鎌田秀一作
湊川の合戦ー楠木正成奮戦の場
竹内秀信作
妻鹿孫三郎勇力
柳正則作
井筒金具
螺鈿細工が施された高欄
令和6年(2024年)
令和6年(2024年)
令和6年(2024年)
令和6年(2024年)
令和5年(2023年)
令和5年(2023年)
令和4年(2022年)
コロナ禍により3年ぶりの練りだし。
台車をつけての宮入り、差し上げ無し、境内での据え置き無し、
と大きく行程をかえて催行された。
令和元年(2019年)
台風接近に伴い、祭礼日を一日ずらして催行
令和元年(2019年)
平成30年(2018年)
平成30年(2018年)
平成29年(2017年)
遷座400年の記念大祭
平成29年(2017年)
遷座400年の記念大祭
平成28年(2016年)
コミュニティ助成を活用して金綱の導入・水引幕の修繕を行った。
平成28年(2016年)
平成28年(2016年)
雨降る中での宮入り
平成28年(2016年)
雨降る中での宮入り
平成27年(2015年)
平成27年(2015年)
平成27年(2015年)
白黒の袋綱と大きな御幣が印象的である
平成26年(2014年)
平成26年(2014年)
平成25年(2013年)
平成25年(2013年)