令和6(2024)年
西安田(にしやすだ)の屋台はこれまでに何度か大改修を施され、現在の姿に至っています。昭和52(1977)年頃までは、赤い布団屋根で屋根中央に御幣が取り付けられ練り出されていました。加西方面から購入したという伝聞が残されていますが、その来歴ははっきりしません。昼提灯箱に明治27(1894)年に西安田において新調された旨を示す墨書きが残されていること、また、明治21(1888)年に廃された西安田円満寺の仁王門の礎石が屋台蔵の礎石に転用されたとの言い伝え(注1)があることから判断して、明治の中期には当地にて奉納されていたと考えられます。先代の狭間彫刻は、天保から明治初期に活躍した大阪の彫刻師(注2)、前田安兵衛義次の作品であり、もともとは江戸末期から明治初期に製作された屋台と考えられます。おそらく明治中期に西安田が購入し、当地にて刺繍類の新調や屋根などの改修などが施され、練り出されていたと考えられます。
前田安兵衛義次が手がけた狭間彫刻は、「三国志」が題材とされ、「長坂の戦い-趙雲と阿斗」や「長沙の戦い-黄忠と関羽」など勇戦の場が彫られています。水引幕は、麦本商店(姫路市)が請け負い「一ノ谷の合戦」が精巧な刺繍で表現されました。昼提灯は、宮永(加東市)が請け負い、龍頭をやや斜め上から捉えた独特の構図で「阿吽の龍」が刺繍されました。 屋台本体は大変古いものであったと推測されますが、屋台を彩る彫刻や刺繍は他村の類をみない特徴ある装飾が取り入れられていました。
先代水引幕「一ノ谷の合戦、平敦盛 (麦本製)」
昭和52(1977)年頃に、痛みの激しかった屋台本体の抜本的修理が施されました。上述の狭間彫刻、水引幕、昼提灯を受け継ぎつつも、担棒、脇棒、泥台、高欄、四本柱、水切り金具、布団屋根、梵天金具などが新調され、近代的な姿に生まれ変わりました。この時、布団屋根の色も、従来の赤色から黒色へと変更され、屋台前後を海老の梵天、左右を鷲の布団締めで飾るようになりました。さらに、平成9(1997)年には、屋台蔵が新調されるとともに、水引幕、昼提灯が復元新調されました。また、平成24(2012)年には狭間彫刻がコミュニティ助成を活用し新調されました。令和5(2023)年には金綱が導入されるとともに、鷹梵天の追加、四本柱の新調、脇棒の拡張が行われ現在の姿となっています。
安田稲荷神社は元々西安田に鎮座していたとされ、祭礼においても西安田は宮本として他村にはない役割を担っています。祭礼と並行して催行される頭(とう)神事における丑の刻参りや、拝殿前での天下泰平、参道での繰り返す屋台唄など、神事における中心的な位置づけにあります。
注1:広報なかちょう(第261号 平成元年5月、中町役場刊)連載「昔の中町はなあ」での円満寺住職へのインタビュー記事。
注2:大坂・浪花木彫史 近世大工彫刻の系譜 (だん吉友の会 編、1992年刊)
先代狭間彫刻:長坂の戦い-趙雲と阿斗
先代狭間彫刻:長沙の戦い-黄忠と関羽
平成24年(2012年)新調の狭間
平成24年(2012年)新調の狭間
令和6年(2024年)
令和6年(2024年)
令和6年(2024年)
布団四隅の房が金色に変更された
令和6年(2024年)
村廻りへ出立つ
令和5年(2023年)
四本柱の新調、脇棒の拡張、金綱の導入、脇梵天が追加される。
令和5年(2023年)
祭1週間前に行われたお披露目
令和5年(2023年)
令和5年(2023年)
令和4年(2022年)
コロナ禍により3年ぶりの練りだし。
台車をつけての宮入り、差し上げ無し、境内での据え置き無し、
と大きく行程をかえて催行された。
令和元年(2019年)
台風接近に伴い、祭礼日を一日ずらして催行
令和元年(2019年)
平成30年(2018年)
平成30年(2018年)
平成29年(2017年)
遷座400年の記念大祭
平成29年(2017年)
遷座400年の記念大祭
平成28年(2016年)
雨降る中での宮入り
平成28年(2016年)
雨降る中での宮入り
平成27年(2015年)
平成27年(2015年)
平成26年(2014年)
平成26年(2014年)
平成25年(2013年)
平成25年(2013年)