宵宮では、午前中を中心に各集落内の巡行(村周り)が行われます。昼過ぎから集落外へと巡行します。夕刻からは電飾を施しながら曽我井方面を巡行することが通例となっています。
また宵宮午後7時からは、稲荷神社にて宵宮祭が挙行され、浦安の舞が奉納されます。
曽我井グリーンプラザ付近に整列した屋台
(平成29(2017)年)
本宮では各集落で出立ちをした後、昼前に宮入り口へといたる糀屋字大橋に宮入り順に屋台が整列します。その後、糀屋公民館前で休憩した後、牛飼い道を通り鳥居前へと至ります。
屋台が大橋に整列
(本宮11:30~12:30ごろ)
糀屋公民館前で休憩
祭当番地区から警護人の挨拶行われる
(本宮12:45ごろ)
牛飼い道を通り鳥居前へと向かう
牛飼い道を通り鳥居前へと向かう
(本宮13:30)
【宮入りのみどころ:鳥居前での差し上げと屋台唄】
安坂青年の手により鳥居前の御神灯が吊り上げられると、いよいよ宮入が始まります。糀屋稲荷神社の秋祭りでは、屋台を差し上げた状態で屋台唄を掛け合うのが独特の風流となっています。鳥居前での差し上げでは、安坂・曽我井・坂本の各地区が「ここは当所の氏神の前」で始まる屋台唄を唄いあげます。また、森本は「天下泰平」を唄いあげます。
所定の屋台唄を奉納し終えた屋台は「えんしょー、まっかんしょー」の掛け声とともに、参道を境内へ向かって練り歩きます。台車を入れて進むことが一般的になってしまいましたが、曽我井や安坂では今日でも時折屋台を肩で担いで参道を進む姿が見られます。
差し上げられる糀屋
差し上げられる安坂
参道を進む曽我井
【宮入りのみどころ:土俵廻り】
境内に入った屋台は、まず拝殿前で差し上げられます。森本は再び「天下泰平」を唄いあげ、安坂では「稲荷様には菊月祭礼」で始まる独特の屋台唄を奉納します。近年では糀屋も屋台唄を唄いあげます。
拝殿で差し上げた後、境内中央にある土俵のまわりを3周します(”土俵廻り”とよばれます。)。糀屋稲荷神社の秋祭りでは長年、できるだけ屋台を肩に落とさぬよう差した状態で廻るのが理想とされてきました。近年では、差し上げたままの土俵廻りに挑戦する地区も減少し、はじめの1周目を差し上げたまま回ることでも大きな喝采となります。
森本の差し上げと「天下泰平」の奉納
糀屋の差し上げ
糀屋の土俵廻り(平成28(2016)年)
坂本の土俵廻り(平成29(2017)年)
森本の土俵廻り(平成17(2005)年)
【森本の土俵廻り】
森本では、屋台を差し上げたまま3周回りきる宮入りを地区の誇りとして続けてこられました。宮入りした屋台は拝殿前で差し上げられ、乗り子による「天下泰平」が高らかに唄いあげられます。その後、「さーしましょー」のかけ声にあわせて、差し上げられたまま3周の土俵廻りが行われていました。かけ声にあわせて大きく屋台をしゃくりつつ担ぎ手の歩みをそろえたり、適宜担ぎ手の配置を調節したりと、警護人・青年団はじめ担ぎ手全体の高い技術を見ることができました。残された映像からは計10分以上差し上げたままとなる姿が確認でき、大変胆力を要する宮入りとなっていました。平成20年頃を最後に、担ぎ手減小伴う安全面への配慮から現在は行われなくなっています。
【宮入りのみどころ:東照宮での差し上げ】
境内を3周した屋台は、拝殿左横の坂道をのぼって、東照宮へ向かいます。糀屋稲荷神社は徳川将軍家からの寄進を受け栄えてきた経緯があり、東照宮は本社と同等の崇敬の対象となっています。すべての屋台が屋台唄の奉納を行います。宮本にあたる糀屋では地区名になぞらえた「米に縁ある糀屋村は」で始まる独特の屋台唄を奉納します。安坂・曽我井・坂本では「稲荷さまには菊月祭礼」を、森本では「天下泰平」をと、いずれも宮入りにおいて最も長い屋台唄を奉納します。最後の差し上げではあるものの、担ぎ手にとっては最も力の入る場面となります。
東照宮前での差し上げが終わると、祇園囃子を歌いながら所定の位置へと納められます。
東照宮へ向かう曽我井
屋台の宮入り後、社殿では神事が執り行われます。神職により祝詞奏上、区長・宮総代による玉串奉納に続き、浦安の舞が奉納されます。
奉賛会主催の余興を挟み、午後5時頃から下向が行われます。趣向を凝らした電飾を点しながら、境内を3周します。その後、祇園囃子を唄いながら参道を下っていきます。近年ではすべての地区が台車を入れて下向をするようになってしまいましたが、平成中頃までは宮入り同様、差し上げての土俵廻りを披露する屋台もありました。